敬虔なる祈り・・ バッハ ミサ曲ロ短調 / 鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン 他
劇的にして厳粛なリヒター盤、滔々と流れる歌と慈愛に満ちたジュリーニ盤に加えて、またひとつ、究極の名盤が登場しました。
キャロリン・サンプソン(ソプラノ)
レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(カウンターテノール)
ゲルト・テュルク(テノール)
ペーター・コーイ(バス)
バッハ・コレギウム・ジャパン
鈴木雅明(指揮)
私がここであえて紹介しなくても、バッハの好きな方、BCJの実力を知っている方は、待ちに待っておられたレコーディングであった筈で、もう入手されているか、ウィッシュリストにのせておられるでしょう。そして、これを既に聴いた方は“期待以上の出来”に感服なさっていることと思います。
私が凡百の駄文をブログで“発信”したところで、世の音楽ファンの方々の間に何の“さざなみ”もたてることはないでしょう。
それに、私には、“この名盤”、いや、大天才にして努力の人バッハのこの作品、鈴木雅明とBCJというその音楽の前にひたすら献身的な演奏家たちのことを語る資格すらなどあろう筈もないのです。
ということで、以下、単なる蛇足に過ぎません。ひとりごとを書き連ねているだけです。お許しください。
『この2、3日、このCDの演奏をiPodに入れ、通勤時、帰宅時、就寝時と聴き続けている。今は、これを聴いている時間以上に、充実した時間が他にあるとは思えない。』
『透明なガラスの直方体が、少しづつ時間を置きながら、いくつも上手から下手へ流れていき、それが重なって、クリスタルの宮殿、いや大教会を形づくっていくような演奏。私のような音痴にも、ポリフォニー(多声音楽)の金字塔であるようなこの音楽を俯瞰できるような解釈。1曲目のキリエなどに顕著だが、合唱が、他の聴きなれた演奏だと、レガートで流しているようなところも、器楽的なアーティキュレーション(音楽の修辞法とでもいうのだろうか。この言葉良く使うが、あまり明確な意味を知らない。)で明確な隈取で歌っている。『きいいりええー、れええいそおおん・・』のように。これがポリフォニーの“綾”をはっきりさせることにつながっているのだろうか。』
『器楽合奏、合唱はあくまでも透明でクールな感触である。一方、決して感情過多ではないが、独唱、独奏は結構“歌って”いる。その配分が絶妙だと思う。』
『これは同じバッハの宗教曲とは言え“受難曲”とは違う。鈴木は明らかにそれを意識していると思う。《マタイ》、《ヨハネ》の受難曲でみせたような、劇的な演奏を作っていないからだ。その真意はなんであろうか。これが“典礼”のための“ミサ曲”(ちなみにバッハはプロテスタントで、カトリック典礼のためのミサ曲を書くということには、とても意外なことなのだ。)であるからであろうか?もしくはバッハの“純音楽”の集大成としてのこの曲の背景に“劇”がないということであろうか?リヒターの劇的な演奏とは、全く違う。どちらも名演であることには違いないが、暗く劇的な音楽と明るい音楽とが頻繁に入れ替わるこの曲については、ある種客観的な鈴木+BCJの方が、落差が大きくない分、全体的なまとまりは良いように感じる。』
『なぜ、表面的にはクールなこの音楽と演奏に対して暖かさを感じるのであろうか。ただひたすら天国の高みに登っていくような終曲で・・やはり感動せざるを得ない。』
『1年くらい前のことだろうか。あるCDショップで、見知らぬ方が、その連れの方を相手にBCJのカンタータのCDのジャケットを見ながら、『鈴木雅明は段々、キリストのような風貌になってきたね。』と言っていたのを思い出した。』
『BISだから当然であるが、録音はとても良い。プロデューサーや録音スタッフたちが音楽を本当に愛しているからだろうと思う。』
『このCDを聴いて、感動できる人は、同時に“神”の存在(“キリスト教の神”に限らず。)も信じられるであろう。』
バッハ ミサ曲ロ短調 / 鈴木雅明 BCJ@HMV
もし、私の書いたことがお気に召したり、お役に立てたりできたのであれば、3つのランキング↓に参加していますので、クリックいただければ幸いです。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 クラシックブログ
音楽ブログランキングへ

"敬虔なる祈り・・ バッハ ミサ曲ロ短調 / 鈴木雅明 バッハ・コレギウム・ジャパン 他" へのコメントを書く